2001年3月までの私の玉蘭の花への理解は、ほかの大多数の人たちと変わりないものだった。せいぜい、寺の前や路上、停車中の車のそばで売られている光景を思い出す、というところだったのである。しかしその後、 中文版ナショナル・ジオグラフィック誌から、玉蘭の花産業についての撮影の仕事を受けた。それをきっかけに、その後約6年にわたり、彰化や屏東一帯の農村地帯と都会の台北の間を頻繁に往復しながら、記録を取り続けた。記録の歩みに合わせて、玉蘭の植栽、収穫、仲買、販売ルートやその方法を深く探究しただけでなく、花農家や卸売り、生花業者の仕事や生活を、自ら身をもって体験した。またそれらを観察し、さまざまなやり取りを行う中で、そこにある苦楽もじっくりと味わうこととなった。
何があなたを、長い時間をかけたドキュメンタリー制作にひたすら向かわせるのか?と聞かれることが、よくある。自己実現のため?賞を取りたいから?マーケットの需要に合わせて?歴史を保存したいの?文化の研究?それとも、ほかの理由でも?とりあえず手短に、華麗で、崇高な目的を掲げるとすれば、確かにこれまでの成長の諸段階においては、信仰の実践に源を発する何かや、自己を高めたいという原動力など、さまざまな要素が混在していた。しかしそれらは、それぞれの段階では確かに存在していたものの、その後消失していった。ここ数年、絶え間なく心の奥深くに答えを探し求めるにつれ、結局、私が写真に関わっている根本的な理由は、単純に感動そのものなのかもしれない、と思うようになった。
以前出したドキュメンタリー写真集《映像・南方澳》の出版からまる6年が過ぎたが、そのあいだに、妻は、私について深く知るようになると同時に、撮影プロジェクトのいくつかにも関わるようになった。ただしいつも、私のプロジェクトについて、「始めはするけど、終わらせはしないのよね」とからかいもするのだが。確かに私は、効率の良い多産なドキュメンタリー撮影者とは言えない。原因はほかでもない、台湾の現在の映像環境で、固定的な仕事のあいまに映像の記録や創作に関わっていることや、物的人的資源の不足などである。こういったことを考慮すると、プロジェクトの個々のプロセスに時間がかかるのは当然であると思う。ただ、このような時間の延長が、ちょうどよいタイミングで、内容や構成についての再思考を促し、再確認の時間と空間を提供していることも否定できない。また、アート・マーケットの需要や潮流に対する、創作テーマや方向性における即時的反応は、私がドキュメンタリーの仕事に従事している意図とは、かけ離れたものだ。
台湾では、過去数十年という長い間、ドキュメンタリー・フォトの領域に、膨大な資源とエネルギーがつぎ込まれてきた。この土地を題材にしたものには、テーマの枠組み、美学の実践、叙事的な構造、編集上の思考や、印刷デザインなどを兼ね備えた、完成度の高い編纂と文章が散見される。ただ私は、比例からすると、まだまだ努力の必要と空間があるのではないかと考えている。
他の継続中の撮影プロジェクトのテーマとはまったく異なって、私にとって「玉蘭」の農村田園地帯の印象は、単調でありふれており、 内向的で、毎日同じことの繰り返しであるように感じられた。大武山岳の上の雲や霧や、アスファルトの道の上に立ち上る、ゆらゆらとむせ返るような熱気、そんな停滞と消失がただ絶え間なく繰り返される。そんな中で、朝日が照り映え、くねくねと連なる隘寮渓の風景だけは、変わらず壮麗であった。都市と農村のあいだを往来する、毎度のつらく長い南北を貫く道のりでは、それぞれの土地に漂う空気に、明らかに異なるにおいをはっきりと嗅ぎ分けることが出来た。それは、時には落ち着くかすかな香りであり、時には鼻を突く黒い煙であった。
もし仮に、記録の実務的側面と視覚的な構造において、「玉蘭」が、容易に表現可能なタイプの対象でなかったとしても、この花は、情緒的な面で、絶え間なく私を喧噪から引き離し、風景や物を正視させると同時に、自分自身を直視させてくれた。というわけで私は、このなじみ深いありふれた風景について、一体どうすれば、叙事的な論理や、産業上の文脈、視覚的な転化、映像の構造をすべて兼ね備えつつ、文学的に、人文的に、思想的に、正確に、情感的に、リズミカルに述べ伝え、作品に凝縮させることが出来るか、ということを念頭に置いて、撮影および編集作業を進めていった。
上記の思惑を実現しながら、玉蘭の花産業の、社会構造下での文化的観察、産業問題、民族グループ(社群)について論述するために、私は、実制作を通して、映像の捕捉や構造の決定において、撮影学が当然とする美学的基礎や視覚的条件、人文的修養についての検証を何度も行い、組み合わせ直した。同時に、図版の編集プロセスにおいて、モンタージュ理論における対比や相似、衝突、隠喩などの叙事的手法を適度に援用しつつ、時間の流れや閲読のリズム、視覚の延長や転換などの問題を総合し、1ページを白く残したり、ページを見開きにしたり、対照的にしたり、また直列に並べたりすることによって、目的の実現を可能にしようとした。この本を手にとる観者の言語や文化、教育、専門的知識や好み、感じ方などには、当然、さまざまな相違があるに違いない。しかし、この本に掲載された作品には、頭から順番に見たとしても、後ろから見たとしても、視覚が混淆させられ、間違った理解に導かれることはないだろう。また、印刷については、モノクロ撮影作品の豊富なグラデーションを精確に再現するために、スクリーン600線印刷の使用を試みた。
私は、長い間、写真に関わり、関連する思考に関わっている。そのためか、写真が人に感動を与えることを、深く信じてもいる。写真は、現状におけるだけでなく、未来においてもさまざまな可能性を持ち、そのうえで、絶え間なく発想と実践を繰り返すことを通して、世界に対する多元的なものの見方を作り出している。そしてさらには、より堅固なコンセンサスと信仰を生み出してもいる。
私がこの写真という仕事に取り組む中で、演繹的に得た観察とは次のようなものである。ひとつの作品シリーズを目にするとき、牽引されるように感じたり、衝撃やインスピレーションを受けたり、感動したりするとする。これは、ふつうは作品のテーマの発想や内容の構造、表現形式と作品の質の優劣に由来する。それ以外には、やはり作者がそのテーマに向き合う時の態度と関係している。そして作者が、作品をとおして現代美術、芸術評論や、社会環境や文化現象に対して、本質に触れる独自の答えを提出しているかどうかにかかっているように思う。
特に、ドキュメンタリー・フォトという領域に長い間携わっていることで、さらに確信させられたことがある。それは、写真というものは、お互いに貫通する鏡のようなものだということである。写真のおかげで、私たちは、見るという行為を通して、対等の基礎の上に、お互いの生活環境を理解しようとすることが出来る。そして、それらの環境の中で、人々が如何にして勇敢に、また悔いることなく、人生の苦境がもたらした生命の姿とそのエネルギーとに向かい合っているかをも。
この玉蘭の花産業に関するドキュメンタリー・シリーズの映像と同様、筆者には個人の主観的価値判断を押し付けたり、それぞれの運命を過度な描写したり、ねじ曲げて伝えようというような意図は、まったくない。ただ、これらの写真が、観者に、台湾に固有の社会現象と文化である玉蘭の花産業に対する、より豊富で細やかな見方や想像を提供してくれれば、そして、それがさらに深く掘り下げた柔軟な思考と対話へと結び付けば、と望んでいる。
写真集『玉蘭』は、国内で初めて、台湾固有の社会現象と文化形態である玉蘭の花産業へと深く入り込んで完成した映像記録である。玉蘭の花の特殊な産業構造の関係性をひも解き、ドキュメンタリー・フォトの社会的・時代的意味づけを行った。同時にまた、写真作品をとおして、ドキュメンタリー・フォトが視覚表現・美学の転化、そして写真集の編集や印刷作業上でどのような可能性を持ち得るか、数々の試みを行った。
最後に、この記録のプロセスにおいて、私に協力してくれた花農家、卸売業者、花売りら友人たちに、最大の謝辞と敬意を送りたい。同時に、以下の専門家の皆様にもお礼申し上げたい。とりわけ張照堂先生には、図版の編集段階で、貴重なご意見を賜った。そのほか、デイヴィッド・バグリー氏、杜志剛氏、徐禛氏、徐遵慈氏、岩切みお氏、大月克巳氏、張晏慈氏、周志長氏、周以武氏、詹順正氏にも、写真集の製作においてお世話になった。蕭嘉慶先生、郭力昕先生、藍祖蔚氏には、万事繰り合わせて序文をしたためて頂いた。また、私が長時間仕事に没頭し、家庭生活に影響を及ぼしてしまう時にも、私の身になり、寛容に包み込んでくれた家内、遵慈に感謝の気持ちを捧げたい。
和訳:岩切みお
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